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錦織圭と盛田正明 [試合]

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錦織圭がこれほどまでにテニスで活躍できるのは、錦織圭本人の才能ももちろんの事、周りのバックアップもあったせいだろう。
錦織圭の活躍により、一躍世間に名前が知れ渡った「盛田ファンド」。
プロのテニスプーヤーを目指す上で何よりも強力なバックアップとなる。
錦織圭もジュニア時代、この盛田ファンドにバックアップしてもらっていた。
では盛田ファンドとは一体どういったものなのだろうか。
設立はソニー株式会社の副社長も勤めた事のある人物、盛田正明だ。
盛田正明は、会社の研修で行った先の大学でテニスと出会った。
社会人になってからのテニスデビューだ。
錦織圭は5歳のころから始めたのに対して、盛田正明はだいぶ遅いスタートだった。
そこからテニスにはまり、長年テニスを続けているが、きちんと教わった事は無いという。
全部我流でやっていたらしい。
その盛田正明が会社を引退後、突然人生の目標を失ってしまった。
いままでは仕事の成果こそが人生の目的であったのだが、引退後は何も無くなってしまった。
それを恐れ、なにか生涯をかけて達成できることを始めよう、そう考えて盛田正明によって設立されたのが盛田ファンドだ。
昔は日本のテニスも世界の選手と対等に戦ってこれた。
錦織圭が生まれる遥か昔の事だが、テニスが日本に入って来たのは大体1878年。
日本人がテニスを始めたのは1886年。
今から129年も前のことだ。
1919年には全米3位になったのは日本人。
そしてアントワープ5輪で日本が初めて銀メダルを手にしたのは1920年、テニスのダブルスにおいてだ。
同じ年、ウィンブルドンで準決勝相当に該当するところまで進んだのも日本人。
1921年初のデビスカップ参加で昨年王者と対戦するチャレンンラウンド(決勝に該当?)に進出したのも日本人だ。
それが戦後になると中々突出した選手が男女ともに出てこなかった。
テニスというスポーツをみてみても、なかなかスポンサーがつかないし、ゴルフと違って賞金も日本はとても低い。
これは、日本では世界を相手に出来ない下火のテニスということを如実に表している。
競馬でも日本の馬は凱旋門賞では優勝できていないが、それでも他のレースでは優勝したり、結構上位に食い込んでいる。
日本の競馬は世界でもトップクラスの賞金が出る。
そして世界でも通用するくらい強い。
しかしテニスはそうではない。
だからこそ、盛田正明はこの日本のテニス界から、世界トップを輩出することを目的としたのだろう。
日本のテニスでは世界に通用しないと考えた盛田正明は、海外で若い人材を教育する事に決めた。
そのためにはどうすればいいのか、盛田正明はどうやらけっこう悩んだようだ。
そして親友でもあるマーク・マコーマックに相談すると、「最近買収した、ニックボロテリーアカデミーを使ってくれ」という話しになったそうだ。
そして、留学先が盛田ファンドからIMGへという流れになったのだ。
錦織圭はこのIMGで学んだ訳だが、ちょっと運命的なものを感じる。
さすがソニー元副社長というか、盛田正明人脈がハンパ無い。
マーク・マーコックが「親友」という位置にいる、というのがすごい。
マーク・マーコックとはスタープレイヤーのスポーツマーネジメントとという仕事からスタートし、最終はスタープレーヤーだけでなく、様々な分野の著名人のエージェントやスポーツ番組制作など幅広く事業展開し、2003年72歳で亡くなった。

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彼の得意分野はゴルフ。
スポーツビジネスで最も影響力のある人物と言われている。
そんな人物がポケットに入っているとは、本当にすごい。
もし盛田正明の人脈にマーコックがいなくても、どうにかして海外でテニスを習うという事はできただろう。
そして錦織圭もそこで育ったはずだ。
しかし、世界のトッププレーヤーを輩出しているニックボロテリーアカデミーほどではないはずだ。
いいタイミングでいい人脈がある、というのが一流企業の副社長盛田正明ならではだろう。
もし留学先がニックボロテリーアカデミーでなかったとしたら、おそらく錦織圭の運命も大きく変わっていた事はずだ。
錦織圭はここで様々な出会いを果たしている。
トップを狙うナダルが、対フェデラー対策に錦織圭を起用したり、その他もろもろのトップクラスの選手たちの練習相手ができることや、チャンのメールアドレスを錦織圭(正確にはその母親)がゲットするや、マネジメント担当のオリバー・ファンドリンクがマイケル・チャンを錦織圭の専属コーチへ口説き落としたのもIMGのエージェントならではの戦略の強さだろう。
そして何より、錦織圭が盛田ファンド設立よりも早く生まれていればこのような出会いはなかった。
錦織圭がもう数年だけでも早く生まれていれば、ジュニア時代に盛田ファンドがまだなかったかもしれない。
ほんの少しの偶然が重なって、運命が錦織圭を導いている様に見える。

盛田ファンドの存在意義はただ単に、テニスの普及などといった生温い話しではない。
万全の体制でバックアップするが、そのかわりバックアップの条件も非常に厳しい物となっている。
まずは、1次公募。
錦織圭の時代はスカウト形式だったが、最近は公募を行っている。
ちなみに錦織圭時は日本から錦織圭を含めて3名留学している。
これは現在も最多人数記録だ。
IMGアカデミーから呼び寄せたヘッドコーチによる2次選考。
それに受かればIMGでの2週間の短期留学。
外国人ばかりの環境に上手く適応できるかどうかを審査する。
それに合格すると、最終意思決定として最低1年間は家を離れてテニス漬けの生活が出来るかどうかを本人と家族に問う。
合意をすれば、晴れて盛田ファンドの援助を受け、IMGへ留学となる。
これによって錦織圭は14歳にして単身でアメリカへ渡ったのだ。
その後も1年ごとに高い目標を決められ、それに応じた結果をださなければならない。
それが出来なければ、1年で留学は打ち切りとなる。
錦織圭は1年目はそれほどでは無かったようだが、2年目からぐんぐん成長したという。
毎年目標を達成できれば、18歳まで援助が続く。
そしてプロへ転向という筋書きだ。
この留学を全う出来たのは錦織圭が初めてで、後に西岡良仁と今のところこの二人のみ。
その間、IMGの学費はもとより、本人が望めば日本の通信教育の学費、遠征費、生活費、アメリカの学校の学費、IMG滞在費、成田空港からIMGまでの交通費などが援助される。
これらは一切返金不要。
しかし世界ランキング100位以内に入ると、年間獲得賞金の10%を5年に渡って返還する決まりがある。
後の選手育成に回されるのである。
その他注意点は、スポンサー企業からテニス用品の支給は認められているが、金銭の授与に関しては、受け取った時点で盛田ファンドからの援助は打ち切られる。
あくまで、自費で留学できない若手に限定しているので、スポンサーがいるならそっちから援助を受ければ良いということだろう。

錦織圭はこのシステムを使い、3年目からエリートコースに昇格。
それと同時にIMGの提案で錦織圭に選任コーチが付く事になった。
これは盛田ファンド設立時のモットーともいうべき「良いと思われる事は何でもやって見よう」を盛田正明が実践した形といえる。
選任コーチを付けるということは、年間費用が一気に跳ね上がり1000万円を超えるという。
それでも盛田正明が即決したのは、錦織圭こそが日本人テニスプレーヤーで初めて世界のトップに立てる、そう思ったからだろう。
その後、錦織圭が世界ランキング100位以内に入り、盛田ファンドへ10%の賞金を還元したが3年目から専任コーチを付けた事によって、結局ペイできなかったらしい。
それでも盛田正明は世界のトップを育てられるという喜びには替えがたいだろう。
マーコックがボロテリーアカデミーと出会い、そのマーコックに盛田正明が出会い、その盛田ファンドに錦織圭が出会い、マイケルがその錦織圭に出会った。
これで役者はそろった。
あとは錦織圭がトップを極めるのを見守るのみだ。
そうすれば、錦織圭を追いかけて日本のジュニア達も育ってくるのではないだろうか。

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ヤングガンズと錦織圭が故障 [スポーツ]

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錦織圭の、今後もっとも強敵となる相手は一体誰であろう。
ビッグ3はもちろんの事、錦織圭と同期のライバルやヤングガンズも育ってきている。
はたしてどちらが錦織圭にとって脅威となるか。
ビッグ3とは、男子テニス会に君臨する世界ランキング上位常連の3人。
すなわち2015年5月現在の順位だが、1位のノバク・ジョコビッチ、、2位のロジャー・フェデラー、7位のラファエル・ナダルの事を指す。
それに世界ランキング3位のアンディ・マリーを入れるとビッグ4と言われている。
特にこのビッグ3は錦織圭が世界ランキング10位に入った辺りから、憧れの存在から倒すべき敵にシフトしたメンツである。
その中でも特に強敵なのは、錦織圭がまだ1勝もした事がないラファエル・ナダルだろう。
2008年に初めて試合をして、2015年5月に至るまで7戦0勝という驚異的な数字だ。
そして他にも錦織圭がまだ1勝もしていない相手は、ビッグ4のアンディ・マリーがいた。
しかし、それも昨年までの話。
2014年11月ATPツアーファイナルにおいて、錦織圭は宿敵アンディ・マリーを倒している。
ここしばらく、錦織圭も世界ランキングベスト5にとどまっているのだから近々ビッグ5になるのではないだろうか。
しかし、錦織圭の場合グループ的にはヤングガンズの方だろう。
本人は「もう若手とは言えない」という主旨の発言をしているが、まだまだ「ヤング」のグループである。
ではビッグ4の面々はどのような経歴の持ち主なのだろうか。
まずノバクジョコビッチ。
1987年生まれで、グランドスラム8、勝セルビア人初のグランドスラム優勝者だ。
ATPツアーファイナル4勝に加え、世界ランキング1位在位100週という記録の持ち主。
錦織圭との対戦成績は7戦5勝(うち1回は錦織圭が棄権)2敗という成績。
次にロジャーフェデラー。
1981年生まれで、史上最高のテニスプレーヤーと賞賛されている。
2009年にキャリアグランドスラムを達成、2011年には錦織圭が出場する自体、必死にならなければならなかったATPツアーファイナルで6度の優勝を決めている。
それはもちろん最多優勝記録だ。
世界ランキング1位保持期間237週はじつに4年半の歳月を1位に君臨していた事になる。
その華々しい経歴もさることながら、フェデラーのフォームも教科書の様に模範的と言われている。
錦織圭との対戦成績は5戦して3勝2敗だ。
ラファエル・ナダルは1986年生まれ。
史上二人目となるキャリアゴールデンスラム達成者。
キャリアゴールデンスラムとは、4大大会優勝し、かつオリンピックで金メダルをとることだ。
ゴールデンが付かなければ、4大大会優勝すること。
これはフェデラーも達成しているが、ナダルはこれに金メダルが付く。
クレーコートを得意とすることから、「クレーの王者」と呼ばれている。
錦織圭との対戦績は7戦7勝。
対戦積だけみると、ナダルが一番の強敵に思える。
そしてビッグ4最後はアンディ・マリー。
ジョコビッチと同期で、1987年生まれ。
ロンドン5輪の金メダリストでイギリス側で104年ぶりの金メダルを獲得した。
生涯獲得賞金ランキング歴代5位で、グランドスラムでは2回優勝を果たしている。
4大大会の優勝回数は他の3人に比べてさほど多くないが、1度でも優勝することが難しい大会である。
それを2度優勝する、ということと、世界ランキングベスト5位の常連ということからして錦織圭にとっては強靭なライバルだ。
錦織圭との対戦成績は4戦3勝1敗。
この唯一の1敗が昨年のATPツアーファイナルだ。
錦織圭自体、彼ら4人よりも若くまだまだ経験値では劣る。
しかし、他の誰よりも打倒ビッグ4の近くにいる。
そして実力はほんの僅差まで近づいている。
まずはラファエル・ナダルから1戦でも勝ち取れたら、そこから更にメンタルの強さも磨きがかかるはず。
そうすれば、トップが入れ替わる日も遠くはないと言える。
だが、上だけを見ていればいい日は錦織圭にとって終わりが近づいている。
若手がどんどん育って来ているからだ。
ロジャー・フェデラーがあれだけ世界ランキング1位の在位期間が長いのは、上だけみて戦っていたからではない。
若手の活躍も阻止しているからこそ、だれも世界ランキングベスト5に這い上がって来れなかったのだ。
昨今ラケットの飛躍的進歩と、その他の要因からトップの寿命が延びて来ている。
その為、従来のテニスと違い中々世代交代が進まない。
そんな中でも必死で世界ランキングを這い登って来ている若手選手達がいる。
それが「ヤングガンズ」と呼ばれるプイヤー達だ。
かつては錦織圭もその一員だった。

ヤングガンズとは、ATPが毎年発表する若手の突出したテニスプレーヤーのこと。
10代バージョンと21歳以下バージョンがある。
ヤングガンズを選んで、ウェブサイトで取り上げる事によって若手の「売り出し」を計るのである。
なかなか世代交代がすすまないテニス界に新たな流れを作り出そうというのだ。

とりあえず錦織圭に近い年齢のアンダー21のヤングガンズ達を見てみよう。
まず1人目のヤングガンズはDominic Thiem(ドミニク・ティエム)1993年生まれ。
2014年の全豪オープンで当時世界ランキング3位のワウリンカを破った。
その後ナダルに破れているが、世界ランキングは自己ベスト36位。
現在42位。
そして二人目のヤングガンズNick Kyrgios(ニック・キルギオス)1995年生まれ。
身長193cm。
2014年のウィンブルドンでナダルを破りベスト8進出。
ちなみに錦織圭はこのときベスト16止まり。
身長さも大きいが、ナダルを破った事があるというだけで要注意の若手だ。
現在30位。
三人目のヤングガンズBornaCoric(ボルナ・コリッチ)1996年生まれ。
身長185cm。
今年の2月に行われたドバイ選手権において錦織圭が昨年やっと1勝を取ったばかりのアンディ・マレーにストレート勝ちしている。
当時のランキングは80位半ばくらいである。
そして昨年2014年10月に行われたスイス室内バーゼルにおいてナダルを破っているのだ。
まだ17歳だったコリッチは一躍注目を浴びた。
錦織圭がニガテとする2選手を倒した経験のある若手。
錦織圭もこのヤングガンズの出現に、うかうかしていられないだろう。
現在は53位。
そして最後のヤングガンズはJiri Vesely(ジリー・ベセリー)1993年生まれ。
身長198cmの長身という武器をもち、ATPヤングガンズに2年連続紹介された唯一の選手。
今年の5月イタリアBNL国際において2回戦で錦織圭と対戦している。
結果はストレート負け。
しかしこれから注目株であることには変わりない。
世界ランキング37位。

ヤングガンズと錦織圭ではランキングに差があるため、なかなか試合をする機会は少ないだろう。
若手がグランドスラムに出場しない限り、バッティングする大会はほとんど無い。
年齢的には錦織圭24歳とあまり差はないが、場数でいうと大きな差が出る。
そのため、ざっと経歴をみたところでそんなに錦織圭にとって脅威には感じないが、ヤングガンズの方が成長という伸び白は多いだろう。
上はビッグ4、下はヤングガンズ。
両方を相手にしていかなければならない錦織圭だが、まずは上のビッグ4を蹴散らし、そして下が登ってくるのを迎え打ってくれることだろう。
錦織圭が頂点に上り詰めるのを、ワクワクしながら見守ろう。


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スポーツ選手は自分の肉体を使って相手を蹴散らす。
その為、ケガがつきものである。
しかし中にはケガや故障といった弊害をほとんど無く過ごす選手もいる。
やはり故障は選手にとって死活問題。
例えば季節限定のスポーツなら、多少の故障はオフシーズンになんとか治せば良いだろう。
しかしテニスの様にほとんど一年中試合を行っているスポーツ選手はそうはいかない。
ではプロのテニスプレーヤーが年間どのくらいケガや故障を発生するのか。
そして故障による弊害とはどんなものがあるのだろうか。
錦織圭のプロ転向後の選手生活においてはどうなのかをみていきたい。
錦織圭がテニスのプロへ転向したのは2007年17歳の時だ。
その次の年から、錦織圭とケガの戦いがはじまる。
2008年は合計1回。
デルレイビーチで初の優勝を果たすもその後、グランドスラム初出場のウィンブルドンで腹筋肉離れを発症。
途中棄権となった。
2009年1月の全豪オープンから感じていた肘の違和感。
その肘をかばいながら戦う事2ヶ月。
3月のインディアンウェルズ大会後、錦織圭はドクターから肘が炎症を起こしていると告げられる。
その後錦織の経緯は8週間リハビリをし、徐々に大会に向けての準備を進めていた。
目標をウィンブルドン出場に定め、全仏オープンは欠場することに。
しかし5月20日にMRIを取ると、肘にヒビが入っている事が発覚。
疲労骨折が判明したのだった。
そして8月には更に前回のMRIでは発見されなかった右肘の関節軟骨の損傷。
そしてその為の内視鏡手術
錦織圭はUSオープンも欠場となり、リハビリの為結局1年間大会出場することができなかった。
スポーツ選手がその本分であるスポーツができない、というのは相当の苦痛だろう。
自分がもっと上へ行けると思っているときは、何も出来ない苦痛というのは想像を絶する。
そしてどんどんライバル達が先へ進むのを自分はラケットに触れる事すらできずに見守るしか無い悲しみ。
しかもこのとき既に錦織圭は日清に所属。
様々なスポンサーと契約を結んでいたのだ。
選手がスポンサーと契約を結ぶとスポンサーから様々な援助が受けられる。
それは金銭的なものであったり、そのスポーツに関わるサービスであったり、テニス用品の支給であったり。
契約内容によっては、故障などで大会に出場できなければ、その間援助が受けられない事もある。
錦織圭が契約を結んでいる日清、ユニクロ、ウィダー、ウィルソンなど当時どれだけが援助を中止したのか、それとも援助を続けたのかはっきりされていない。
ただ、所属の日清はこの休業中の1年間も援助を続けていたということを、2012年4月錦織圭は所属契約の記者会見ではっきり言っている。
そして、そのことについてもきちんと感謝の意を述べている。
試合に勝つ負けるだけでもかなりのプレッシャーだが、多くのプロスポーツ選手には彼らを支える人間が大勢関わっている。
コーチ、トレーナー、マネージャーなど、選手が動けなければ、彼らも仕事が無い。
その為、錦織圭を始めとし、スポーツ選手はケガや故障で出場できない期間が続くとそれは勝ち負けの時に感じる以上のプレッシャーがあると思われる。
ただし、錦織圭は悲観的になったりせず色々な事を考え、勉強し、新たに復活した時には一回りも二回りも成長を遂げている。
それが2010年の年だ。
テニスにはワールドランキングがある。
そのランキングはポイント制で、大会によってもらえるポイントが違う。
52週でポイントが消滅するため、選手は必死にポイントを貯め、前年度のランキングを死守する。
そしてランキング上位だけが11月に行われるATPツアーファイナルに出場できるのだ。
これを目標に切磋琢磨しているのである。
ランキングが下がると出たい試合に出場する事もできなくなり、獲得賞金が多いに変わってくる。
このため、錦織圭が2009年長期に渡って大会出場できなかったので、ランキングが大きく下がってしまっている。
かといって復帰を急ぎすぎて再び故障発生となれば、今までのリハビリが水の泡となり、また振り出しにもどる。
錦織圭はここはじっくり耐えて故障を治すことを選んだための結果である。
その後、肘の状態も安定。
2011年5月ローマ大会当日、錦織圭は腹痛の為欠場。
このとき、なんと腎臓結石だった。
手術は不要だったため、全仏オープンには出場する事ができた。
錦織圭同年8月USオープン2回戦棄権。
その前の週のW&Sマスターズにてすでに出ていた左足の痛みによるもの。
腰から左足にかけての痛みで、大した事はなかったようで数日の治療ですんだ。
その証拠に錦織圭は翌月のデビスカップでは26年ぶりに日本をワールドグループ入りに導いた。
この年は計2回ほどで、そこまで大きな故障はなかったようだ。
錦織圭2012年5月バルセロナ大会にて横っ腹の腹筋肉を痛め、回復には1ヶ月かかると診断される。
体幹をささえる筋肉だったため、回復が早まる事はなく錦織圭は全仏オープンを欠場することに。
その後6月にも同じような症状が出たため、ハレの大会を欠場。
そして11月、錦織圭はまたしても故障に悩まされる。
左足の痛みにより、スイスとフランスの2大会を欠場した。
2013年、錦織圭は3月のデルレイビーチ大会を棄権。
ここでもまた横っ腹の腹筋を痛めたのだ。
7月、ウィンブルドンでは棄権こそしなかったが、錦織圭は腰、左ひざ、右足首と痛みに耐えていた。
棄権をせずに試合の無い日は練習をせずに治療にあてたりしての大会だった。
この年の棄権やキャンセルは1回。
故障自体、少ない。
2014年,錦織圭は2月デルレイビーチにて2回戦棄権。
その前のメンフィス大会優勝後の大会で、足やその他の部分に痛みを感じ、リタイヤ。
痛みに耐えても得る物がないと判断した為だ。
その後一度でも痛みがぶり返してしまうと、2009年の悪夢をもう一度繰り返す事になる可能性がある為、大事をみて治療に専念した。
とはいえ、わずか10日ほどのこと。
そして3月ソニーオープンにおいて錦織圭は股関節の痛み再発のため準決勝棄権。
すでに準々決勝から痛みが出ていたが、なんとか踏ん張りフェデラーを倒したがそこまでだった。
5月マドリードオープンにて錦織圭決勝棄権。
左足の股関節の痛みの為だった。
数日程で歩ける程度にはよくなっているが、錦織圭は2014年当初から股関節の痛や故障にたびたび悩まされている。
8月錦織圭は右足の拇指球に膿包が出来たため、切開し、除去するという手術をうけた。
2014年2月から痛みがあったのだが、痛みが良化したり悪化したりを繰り返していた。
それがウィンブルドン後悪化したので検査をしたら、膿包ができていたようだ。
切除手術後しばらくは歩く事が出来なかったようだが、5日程でトレーニングを開始。
錦織圭はUSオープンに照準を合わし、出場した。
10月錦織圭はバレンシアの大会をキャンセル。
これは10日前の大会上海ロレックスマスターズから痛みが発生しており、その痛みが引かなかった為の決断。
その後無事に11月のATPファイナルツアーに出場している。
この年棄権は4回と結構故障を多発している。
しかし、こうしてみると錦織圭は2009年以降長期療養はとっていない。
それだけ体調面が順調に成長しているということだろう。
そしてウィダーがスポンサーにつき、そのトレーナー中尾氏がきっちり錦織圭の体調管理をやっているためであろう。
無理させすぎず、甘やかさずといったところだろうか。
中尾氏がトレーナーについてから、けっこう厳しい体作りを要求されていた。
しかしそれをこなす事によって故障の少ない体になったのだから、的を得た改革だった。
錦織圭はこれからも、心身ともに成長を遂げてくれる事だろう。

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錦織圭とデビスカップからの転戦 [試合情報]

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錦織圭他、日本のテニス選手の悲願とされているのがデビスカップと呼ばれる大会である。
いうなれば、男子テニスのワールドカップに位置する。
野球も、サッカーも(女子だが)、ワールドカップにおいて華々しい結果を残した事があるにも関わらず、このデビスカップにおいては1902年に初出場し、準優勝を飾ったのが最後、ワールドグループに入ることもできずにいるのである。
まずはそのデビスカップとは一体なんなのか。
錦織圭他、世界のテニスプレーヤーが優勝を夢見るデビスカップは、とても歴史が古い。
1899年にハーバード大学生4人が発案した大会だ。
各国4人の代表を決める。
そして3日間戦うのだが、5セットマッチで1日目はシングルス2試合、2日目はダブルス、3日目はシングルス2試合を行い、先に3試合取ったが勝つ。
イギリスに呼びかけて国際大会を始めた事が始まりである。
発案者の1人デビス(Dwight Davis)がトーナメントの形式を作成し、私財を投じて銀の優勝トロフィーを作った。
そして当初はアメリカ対イギリス二国間だけの戦いで、国際ローンテニスチャレンジという名前だったが、すぐにカップの制作者の名前をとってローランドロードス(Rowland Rhodes)が作ったデビスのカップという事でデビスカップと呼ばれる様になった。
つまり元々は二国間だけの争いで、カップはイギリス、アメリカ間を行き来するだけのものだった。
それが1905年にフランス、オーストリア、ベルギー、オーストラリア、ニュージーランドと参加国が増え、1920年には20国以上が参加する様になった。
1969年テニスオープンが開催される様になったが、50カ国がデビスカップへ出場。
前年チャンピオンはすべてのラウンドに参加せずとも良かったのだが、優勝国が限定されて来ていたため、1972年大幅にトーナメント形式を変更し、前年度優勝国もラウンドに参戦しなくてはならなくなった。
1982年に現在のトーナメント形式が導入され、ゾーン分けがなされた。
ワールドグループ16ヶ国、これがいうなれば本戦。
その下位にあたる地域別ゾーン4地域に分けられる。
さらに地域別各ゾーンは実力別に4部に分けられ、各部で優勝すれば、上の部に挑戦でき、勝てば上にあがれる。
1部まで昇格すると、次はワールドグループの今回1回戦敗退したチームと争い、それに勝てば来年ワールドグループ入りが確定する。

1921年日本も初めて参加。
フィリピン、ベルギーが棄権した事により繰り上がったが、そのあとインド、オーストラリアを破ったが、昨年のチャンピオンアメリカに敗戦。
初参加のアジアの小国が、チャレンジラウンドに進出した事が世界を驚かせた。
これが日本の頂点だった。
これ以降は何十年とワールドグループに入る事すらできずにいた。
その後ワールドグループ入り出来たのは、錦織圭が生まれるよりも前の1981年。
戦績はベスト16。
そしてその4年後1985年にベスト16。
それから低迷が続き、27年後の2012年再びワールドグループに返り咲いた。
錦織圭がデビスカップ参戦4年目の事である。
実に27年ぶりということもあり、しかも宿敵インドを倒したという事でお祭り騒ぎだった。
インドは優勝こそしたことは無いが、準優勝3回、アジアグループの1部常連国でもある。
しかも、日本の負け戦は1930年以降ずっと続いて2003年に一度勝っているが、さらにそこから実に9年ぶりの勝利だった。
錦織圭はこのとき、シングルで2勝している。
8月末にUSオープンをケガで棄権していたため、9月14日にデビスカップというのは錦織圭にとって不安もあっただろう。
その不安やプレッシャーを押しのけての勝利だったので、感動も大きい。
2013年のデビスカップは残念ながらワールドグループプレーオフ敗退。
錦織圭はこの大会にも出場していたが、残念ながらイスラエルに負けてしまった。
錦織圭はこのとき、シングルを1戦し、勝っている。
当時の錦織圭のブログから伺えるのは、このとき、イスラエルと日本は非常に僅差だったようだ。
どちらが勝ってもおかしくない。
しかしイスラエル側が普段以上の活躍をしたようで、残念ながら日本が負けてしまった。
プレーオフで負けたので、来年からはワールドグループから外れてしまう。
また一からの出直しである。
2013年デビスカップは下位グループを勝ち抜き、無事ワールドグループ入りを果たした。
プレーオフの結果は、コロンビア戦シングルス2勝。
デビスカップのプレーオフでは錦織圭は負け知らずに見える。
錦織圭この時は世界ランキングで12位。
さすがエースとして、日本を背負って戦っているだけの事はある。
2014年デビスカップはワールドグループでカナダを倒し、日本ベスト8入りを果たす。
これは実に1921年準優勝以来の快挙である。
1981年に制度改正して以来、初めての快挙でもある。
このとき錦織圭はカナダを相手にシングル2勝、ダブルス1勝し、チームを牽引して行った。
2015年はワールドグループにてセルビア相手に1回戦敗退。
プレーオフはまだだが、ここは踏みとどまってワールドグループ残留にがんばってもらいたい。

以上のように2012年まで、デビスカップで日本は非常に苦戦を強いられて来た。
しかし、ここ数年でワールドグループに出たり入ったりできるまでに成長しており、ベスト8入りを果たした事もある。
これは錦織圭を初めとする、日本男子のテニス力がアップしてきた為だろう。
錦織圭が世界ランキングを大幅に更新するまで、日本テニスはとても世界レベルで争えるものではなかったのだろうか。
特に錦織圭が世界ランキングを上げて行くと、他の日本勢もそれに共鳴するかのようにランキングを上げて行っている。
かといって、錦織圭以前は日本は力不足だったかというとそうでもない。
1878年にテニスが日本に伝来して、1920年オリンピックで日本史上初の銀メダルを取ったのはテニスにおいてである。
錦織圭以前にしてもずいぶん遠い「以前」だが、きちんと実績は出ているのである。
そのオリンピックの活躍により、翌年からデビスカップに招待されるようになった。
その後も1930年まで日本テニスの黄金期が続くのである。
しかし世界大戦などの戦争により、「錦織圭以前」の黄金期は終わりを迎える。
戦後は中々結果が出なかったが、1970年にデビスカップにて日本が強豪オーストラリアを倒す。
1921年以降実に50年ぶりの快挙だ。
オーストラリアは強豪中の強豪で、デビスカップ優勝回数28回。
一番多いアメリカの32回に次ぐ優勝回数である。
準優勝19回。
これも一番多いアメリカ29回の次に多い回数である。
ちなみに3番目に多いのはテニスの本場イギリスで優勝9回、準優勝8回と1位2位に比べると桁が一つ減ってしまう。
1971年のオーストラリアを倒す、というのは「錦織圭以前」の中でも直近ですごい快挙である。
なかなか日本人で、プロテニスプレーヤーとして活躍できる人は少ない。
もともと狭き門であるから当然だろう。
しかし、同じアジア勢から見ても日本の世界ランキングの位置はやや低かった様に思える。
それを懸念して、盛田正明氏は世界のトップで活躍できるテニス選手を輩出する目的でファンドを立ち上げた。
日本からも錦織圭のようにIMGアカデミーに短期留学する子供も増えている。
徐々にだが、環境が整いつつある。
第二、第三の錦織圭が世に出てくるのも時間の問題だ。
そうなれば、日本がデビスカップにおいて初優勝を遂げる日も遠くないのかもしれない。


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話は変わって、現在、錦織圭の世界ランキングは5月現在5位。
プロ転向後、7年でベスト5まで上り詰めた。
テニスは、自分の持っているポイントによって出場できる大会が決まってくる。
出たくてもポイントが足りなくて出れない大会もあれば、上位ポイント保持者は絶対にでなくてはいけない大会もある。
一年を通して世界30ヶ国68試合がある。
錦織圭など選手は一年の締めくくりとも言うべき試合ATPワールドツアーファイナルの出場を目指して奮闘する。
このATPサールドツアーファイナルは年間成績の上位8人しか出場することが出来ない大会である。
それに出場するだけでも大変な名誉である。
そのファイナルに出場するため、各選手ポイントを貯める為に必死なのだ。
世界ランキングとは52週の間に基準となる18大会の獲得ポイントによって順位が動く。
このポイントとは、大会に出場し、勝ち星を挙げるごとに増えていくものだ。
大会によって付与ポイントが違い、グランドスラム(4大大会)で2000ポイント、マスターズ1000大会、500大会、250大会と貰えるポイントが大会の種類になっている。
これは優勝時貰えるポイントで、もちろん高いポイントの大会程貰える賞金も大きくなるのである。
若手はすぐには大きな大会には出られないので、もっと下の方の大会に出てポイントを稼いでいく。
チャレンジャー、フューチャーズと呼ばれる大会で、世界40カ国以上で年間178大会開催される。
優勝ポイントは80ポイントから125ポイントまで。
チャレンジャーなどの大会はポイント数ではなく賞金の金額が大会名に付くことが多い。

その間、選手はだいたい年間30試合をすることになる。
では錦織圭はプロ転向後、ベスト5に至まで年間何試合をこなしていったのか。
上位と下位のポジションでは試合の数が変わってくるのか、どちらの方が試合数が少ないのか。
錦織圭の戦歴を元に検証していきたい。

まずプロ転向後2007年、錦織圭は世界をどのくらい転戦していたのだろうか。
3月アメリカフューチャーズ6→アメリカフューチャーズ8→全米男子クレーコート選手権
5月アメリカカールソン・チャレンジャー
6月アメリカユバシティー・チャレンジャー
7月レッグ・メーソン・テニス・クラシック(ワシントン)→インディアナポリス・テニス選手権(インディアナポリス)→カントリーワイドクラシック(ロサンゼルス)→ボゴタ・チャレンジャー→アメリカウィネトカ・チャレンジャー
8月全米オープン(ニューヨーク)→ロジャーカップ(カナダ)
9月チャイナ・オープン(北京)
10月釜山チャレンジャー(釜山)→ソウル・チャレンジャー(ソウル)→AIGジャパン・オープン(東京)

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