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錦織圭選手が弱い? [試合情報]

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2014年は日本中を興奮させてくれた錦織圭選手ですが、2015年は前半だけは今年は4大大会で優勝をしてくれるのではないかと期待をしていましたが、その期待を裏切られた後半戦の錦織圭選手の戦いぶりです。
錦織圭選手は、既に実力的には世界のTOP3と戦っても3回に1回ぐらいは勝てるところまで、実力をつけてきています。
その錦織圭選手ですが、ジョコビッチ選手やフェデラー選手に勝つ時もあるのですが、その反面無名の若手にコロッと負けてしまったり、ランキングでは錦織圭選手とは実力差がある選手にも負けてしまったりしています。
そんな錦織圭選手には何が足りないのでしょうか。
実は、4大大会で優勝できるくらいの実力を既に持っているのは、だれもが認めています。
そんな錦織圭選手ですが、この試合で負ける、というようながっかりの試合も2015年は多かったのは、みんな知っているところです。
今の錦織圭選手にかけているものはなんでしょうか。
錦織圭選手にかけているものとして一番に感じたのがメンタルではないかという人が多いと思います。
2014年の錦織圭選手の場合は、それは考えられたところではあります。
一番メンタルの面で負けて試合に負けたのではと思ったのが、全米オープンでの時の決勝戦です。
決勝に進出するまでに、ランキングのNO1のジョコビッチ選手に買ってから決勝戦に進出していた錦織圭選手ですが、ジョコビッチとの試合はTVで見ました。
錦織圭選手がジョコビッチ選手に粘りのテニスで勝っていました。
そんな錦織圭選手が、決勝で負けるとは思っていませんでした。
あまりにも完璧なジョコビッチ戦だったもので、決勝戦でも同じような戦い方をしてくれると思っていました。
しかし、その戦いはジョコビッチ戦とは全く違った戦いだったように思えます。
この違いはなんだったのでしょうか。
錦織圭選手の気の緩みではないかと思います。
決勝戦まで行ったのと、ジョコビッチ選手に勝ったことで気がゆるんでいたのではないでしょうか。
そんな気がします。
この辺が、まだ錦織圭選手の弱いところではないでしょうか。
これもメンタルが弱いということになるのかはわかりませんが、メンタルが弱かったというよりは、気持ちが勝つことをあまり望んでいなかったように思います。
当初の目標は、ジョコビッチ選手との戦いで勝つことが一番の目標だったのではないでしょうか。
その目標を達成した時点で、錦織圭選手の気が緩んだのではないでしょうか。
そんな気がします。
2015年の錦織圭選手の戦いの中で負けた試合の共通点としては、どの試合も錦織圭選手自身の戦いができていなかったということではないでしょうか。
錦織圭選手が弱いからではないようです。
メンタルが弱いとか、体力的に弱いとかではなく、相手の選手が錦織圭選手を研究しているからです。
研究といっても、人間的な研究ではなく、科学的に研究され尽くした結果錦織圭選手自身のテニスができずに負けてしまっているのではないでしょうか。
錦織圭選手が弱いというわけではなかったのです。
どの選手も間違いなく2014年あれだけの活躍をした錦織圭選手なので、ランキング上位の選手は、科学的に錦織圭選手を分析して、その分析結果の元試合に臨んでいて、そのプラン通りの試合をして、勝つべくして勝った試合だったということではないでしょうか。
錦織圭選手の強みといえば、相手より先にネットに出てきて、リターンエースを決めることではないでしょうか。
相手からしたら、決まった攻撃パターンのためその点を止めることができれば勝機があると思っていたのではないでしょうか。
その作戦がうまくいった時に錦織圭選手は負けていたのではないかと思います。
錦織圭選手も人間ですから、弱い部分もあると思います。
この弱い部分が錦織圭選手だけではなく、どの選手にも弱い部分があると思います。
メンタルが弱いと言われていましたが、今は、チャンコーチのおかげでメンタルの部分は少し解決してきたのではないかと思います。
他のランキングトップの選手を見ていると人間的な感じがしないのです。
特にジョコビッチ選手などは、機械のように戦っているように思えます。
確かにジョコビッチ選手は、ランキングNO1で強い選手ですが、ほんとうにそれでテニスが面白いと言えるのでしょうか。
試合中にダメな時はダメだと顔に出して、調子がいい時はそれなりのポーズを取る錦織圭選手には見ていて楽しめます。
世界のテニスファンも、そんな錦織圭選手の戦いを見て楽しんでいるのではないでしょうか。
人間、弱い部分を持っているからこそ、向上心もでて、その弱い部分を克服しようとするから人生も楽しいので、機械のようなテニスは楽しいと言えないのではないでしょうか。
勝負に勝つ試合をしているジョコビッチ選手と、試合に買ったり負けたりしていても感情を全面に出す錦織圭選手とでは、見ている方としてはどっちが正しいのでしょうか。
そう思うのは私だけではないように思います。
テニスファンで試合を観戦している人たちは、勝つテニスより強い相手にいろいろな策をしてから、立ち向かっていく姿を見たいものではないでしょうか。
錦織圭選手が、ここまで世界中を回って戦うことができているのにはもう一つ理由があると思います。
錦織圭選手の英語力です。
英語が話せる錦織圭選手にとっては、ほかの日本人テニスプレイヤーにはない強みではないでしょうか。
そんな気がします。
ほかの選手たちとコミュニケーションを持てるということは日本人としては強みではないでしょうか。
ほかの日本人選手の場合は、英語が出来る選手は数えるくらいしかいないようです。
そんな中、錦織圭選手は英語で他の選手たちと話をして仲良くなり、練習相手にもなってもらっています。
より強い相手と練習をすることで、何かを得ることができていると思います。
どうしても、日本人には言葉の壁があります。
テニス選手だけではなく、サッカー選手でも言葉の壁でヨーロッパでは活躍ができていない選手もたくさんいます。
日本で活躍していても世界に行くと活躍できないで帰ってくる選手の特徴として、やはり言葉の壁があるようで。
チームメイトと話ができずに、どうしても活躍できないという、弱い部分があるようです。
錦織圭選手は、言葉の壁という部分では、弱い部分がないので有利な面があり、他のテニス選手とは違う部分でもあります。
言語力が弱いと世界では活躍できないということでもあります。
今からの日本人のテニスプレイヤーはもっと英語の勉強をして、日本で満足をしないで世界に羽ばたいて欲しいと思います。
それくらい言語の力はあるということです。
技術的には、才能がある日本人選手はたくさんいますが、この言語の部分で弱いため世界に出ていけない選手もたくさんいるというのは、今の日本人の特徴でもあります。
たくさんの日本人テニスプレイヤーが世界で活躍をするためには、もっと弱い言語力を見につける必要があると思います。

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錦織圭選手の少年時代は、全てがテニスの生活で毎日を過ごしていたのだろうかと思っていましたら、そうでもなかったようです。
今でこそ、テニスの選手として一流のプレイヤーになっていますが、錦織圭選手の少年時代はいろいろなことを行っていたということです。
錦織圭選手の幼少期から少年時代に行っていたのが、テンスだけではなかったということです。
まず、2歳の時に水泳を習っていて、3歳の時にはピアノを習い始めています。
ここで終わればいいのですが、これ以外でも5歳の時にはサッカーをはじめていました。
それからまだあります。
小学校1年生の時にはなんと野球まではじめていました。
これだけのスポーツをさせていたからこそ、今の錦織圭選手の今のテニスでの活躍もあるのではないでしょうか。
そんな錦織圭選手が、ここまでたくさんのスポーツをできたのも両親のおかげでもあります。
その中でも、サッカーは小学校5年生まで続けていたということです。
サッカーの腕前は、相当なもので、点を取りたがるのではなくて、パスを出すことに喜びを持っていたようです。
今のテニスのフェイントは、全てその時のサッカーの経験が役にたっているのではないかと思われます。
小さい頃にいろいろな経験をすることで、その時のスポーツの技術が別のスポーツでも役に立つということはあります。
私の場合は、野球とサッカーをしていましたが、あまりやったことが倍バスケットをした時に、うまくフェイントをするk¥ところまでは、バスケットをしている友人からもうまいね、と言われたことがありますが、これは、意識的にフェイントをしたのではなくて、無意識のうちにフェイントをしただけですので、何がうまいのかがわかりませんでした。
無意識のうちにサッカーで行うフェイントをその時やっただけなので、そんなに感心されても仕方がないと思いました。
しかし、バスケットをしていたら、思った以上にサッカーのフェイントで相手を抜くことができてほんとうに楽しく感じます。
そんな事を、今思い浮かべていると、錦織圭選手が小学生の時にサッカーをしていたことがテニスにも生かされているのではないかと思いました。
これは、自分で実際に経験していないと感じることができない体が自然に動く動作ということになります。
そんな錦織圭選手ですが、よほど両親のどちらかがテニス選手だったのだろうと思いますが、テニスとは無縁の両親であったようです。
なんと父親は森林土木圭の技術者で母親は、ピアノ教室の先生だったということです。
これで錦織圭選手がピアノを習い始めたことは分かりましたが、それ以外はなんでそうなったのでしょう。
錦織圭選手の少年時代は、いろいろなスポーツをして楽しんでいた時期でもあります。
その中でテニスを選んだ理由は、お姉さんがテニスで国体にまで出場していたテニスプレイヤーだったために、その姉に勝つために錦織圭選手はテニスを選んだのではないかと思います。
その後はついに錦織圭選手が姉に勝ってからというものは、テニスに専念することにしたようです。
錦織圭選手が、子供の頃からこれだけたくさんのスポーツをしていたのが、今の錦織圭さんにとって全てプラスになっているのではないでしょうか。
子供の頃に、いろいろと習い事をするというのは、悪いことではありません。
たくさんの事を学ぶことができて、最終的に錦織圭選手の場合は、テニスを選びましたが、サッカーを選んでいてもそれなりの選手にはなっていたのではないでしょうか。
そんな感じがします。
錦織圭選手がテニスを選んで、そこからはテニス1本で行くようにきめたのは、あの松岡修造さんのチャレンジに参加したのがきっかけだったのではないでしょうか。
その時の松岡修造さんの、錦織圭を見たときの見解ですが、見た目まだ小さいので小学生だということで見ていたらその卓越した技術を見て仰天したのだろうと思います。
見た瞬間、秘術的に教えることが1つもないと思ったそうです。
その時点で、すごい才能を持った少年だと錦織圭のことを思っていたようです。
ただ、技術以外の体力的な部分で、まだ子供なので劣っているということだけの問題だということでした。
既にこの子は、世界で通用するテニスプレイヤーになると思われていたようです。
ここまでになるのに、錦織圭はどんな教育方針で両親は育てていたのでしょうか。
松岡修造さんもこの育て方には感銘を受けていたのではないでしょうか。
錦織圭さんの両親は、子供には興味を持ったことには何でも挑戦をさせて、全力でサポートをしていたということですが、この両親の考えは、誰の親でもやりたいことですが、経済的な理由などで、どうしても奏できないところがあります。
その不可能を可能にしたのが、錦織圭さんの両親ではないでしょうか。
両親は、錦織圭さんに好きなことは何でもやらせていましたが、その中でもどれが錦織圭さんに合うのかを見分けていたのではないでしょうか。
数多くのスポーツを錦織圭三位「させておいて、最後に残ったのがテニスということです。
テニスをするために、遠征にはマイカーで送り迎えをしてから錦織圭さんをサポートしていたようです。
勉強の面でも、遅れないように両親がしっかりと教えていたということです。
ここまで徹底した教育を受けさせていた両親には感服します。
この両親だったからこそ、錦織圭さんはここまで登ってくることができたのだと思います。
そんな錦織圭選手は、親の手を離れて、自分のチカラでついにプロとして動き出しているのです。
そんな錦織圭選手は、今才能だけではなく、努力と周りの人からも助けられながらここまで上り詰めてきているのではないでしょうか。
そんな錦織圭選手が、今度は最終目標である世界NO1の座を狙って自分の力で戦っています。
ここまでの錦織圭選手は、周りからいろいろと手助けしてもらいながら戦ってきていますが、そのことに勝つことで答えようとしています。
そんな錦織圭選手が、プライベートでハメを外さなければいいと思います。
錦織圭選手はまだ若いので、いろんな誘惑が待っているのですが、今の彼女に関しては、せっかく今まで両親やほかの手助けここまで来たものを壊すような琴緒がなければいいのですが、今後どんなことになるのでしょうか。
今からの、錦織圭選手のテニス以外での振る舞いが気になるところです。
今の錦織圭選手には、たくさんの誘惑があると思います。
よからぬことを考えている人からいろいろな人が寄ってくると思いますが、手に吸い以外ではまだ子供のようなところがあり、気にはなるところです。
変な女には気をつけてもらいたいところです。


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錦織圭とデビスカップからの転戦 [試合情報]

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錦織圭他、日本のテニス選手の悲願とされているのがデビスカップと呼ばれる大会である。
いうなれば、男子テニスのワールドカップに位置する。
野球も、サッカーも(女子だが)、ワールドカップにおいて華々しい結果を残した事があるにも関わらず、このデビスカップにおいては1902年に初出場し、準優勝を飾ったのが最後、ワールドグループに入ることもできずにいるのである。
まずはそのデビスカップとは一体なんなのか。
錦織圭他、世界のテニスプレーヤーが優勝を夢見るデビスカップは、とても歴史が古い。
1899年にハーバード大学生4人が発案した大会だ。
各国4人の代表を決める。
そして3日間戦うのだが、5セットマッチで1日目はシングルス2試合、2日目はダブルス、3日目はシングルス2試合を行い、先に3試合取ったが勝つ。
イギリスに呼びかけて国際大会を始めた事が始まりである。
発案者の1人デビス(Dwight Davis)がトーナメントの形式を作成し、私財を投じて銀の優勝トロフィーを作った。
そして当初はアメリカ対イギリス二国間だけの戦いで、国際ローンテニスチャレンジという名前だったが、すぐにカップの制作者の名前をとってローランドロードス(Rowland Rhodes)が作ったデビスのカップという事でデビスカップと呼ばれる様になった。
つまり元々は二国間だけの争いで、カップはイギリス、アメリカ間を行き来するだけのものだった。
それが1905年にフランス、オーストリア、ベルギー、オーストラリア、ニュージーランドと参加国が増え、1920年には20国以上が参加する様になった。
1969年テニスオープンが開催される様になったが、50カ国がデビスカップへ出場。
前年チャンピオンはすべてのラウンドに参加せずとも良かったのだが、優勝国が限定されて来ていたため、1972年大幅にトーナメント形式を変更し、前年度優勝国もラウンドに参戦しなくてはならなくなった。
1982年に現在のトーナメント形式が導入され、ゾーン分けがなされた。
ワールドグループ16ヶ国、これがいうなれば本戦。
その下位にあたる地域別ゾーン4地域に分けられる。
さらに地域別各ゾーンは実力別に4部に分けられ、各部で優勝すれば、上の部に挑戦でき、勝てば上にあがれる。
1部まで昇格すると、次はワールドグループの今回1回戦敗退したチームと争い、それに勝てば来年ワールドグループ入りが確定する。

1921年日本も初めて参加。
フィリピン、ベルギーが棄権した事により繰り上がったが、そのあとインド、オーストラリアを破ったが、昨年のチャンピオンアメリカに敗戦。
初参加のアジアの小国が、チャレンジラウンドに進出した事が世界を驚かせた。
これが日本の頂点だった。
これ以降は何十年とワールドグループに入る事すらできずにいた。
その後ワールドグループ入り出来たのは、錦織圭が生まれるよりも前の1981年。
戦績はベスト16。
そしてその4年後1985年にベスト16。
それから低迷が続き、27年後の2012年再びワールドグループに返り咲いた。
錦織圭がデビスカップ参戦4年目の事である。
実に27年ぶりということもあり、しかも宿敵インドを倒したという事でお祭り騒ぎだった。
インドは優勝こそしたことは無いが、準優勝3回、アジアグループの1部常連国でもある。
しかも、日本の負け戦は1930年以降ずっと続いて2003年に一度勝っているが、さらにそこから実に9年ぶりの勝利だった。
錦織圭はこのとき、シングルで2勝している。
8月末にUSオープンをケガで棄権していたため、9月14日にデビスカップというのは錦織圭にとって不安もあっただろう。
その不安やプレッシャーを押しのけての勝利だったので、感動も大きい。
2013年のデビスカップは残念ながらワールドグループプレーオフ敗退。
錦織圭はこの大会にも出場していたが、残念ながらイスラエルに負けてしまった。
錦織圭はこのとき、シングルを1戦し、勝っている。
当時の錦織圭のブログから伺えるのは、このとき、イスラエルと日本は非常に僅差だったようだ。
どちらが勝ってもおかしくない。
しかしイスラエル側が普段以上の活躍をしたようで、残念ながら日本が負けてしまった。
プレーオフで負けたので、来年からはワールドグループから外れてしまう。
また一からの出直しである。
2013年デビスカップは下位グループを勝ち抜き、無事ワールドグループ入りを果たした。
プレーオフの結果は、コロンビア戦シングルス2勝。
デビスカップのプレーオフでは錦織圭は負け知らずに見える。
錦織圭この時は世界ランキングで12位。
さすがエースとして、日本を背負って戦っているだけの事はある。
2014年デビスカップはワールドグループでカナダを倒し、日本ベスト8入りを果たす。
これは実に1921年準優勝以来の快挙である。
1981年に制度改正して以来、初めての快挙でもある。
このとき錦織圭はカナダを相手にシングル2勝、ダブルス1勝し、チームを牽引して行った。
2015年はワールドグループにてセルビア相手に1回戦敗退。
プレーオフはまだだが、ここは踏みとどまってワールドグループ残留にがんばってもらいたい。

以上のように2012年まで、デビスカップで日本は非常に苦戦を強いられて来た。
しかし、ここ数年でワールドグループに出たり入ったりできるまでに成長しており、ベスト8入りを果たした事もある。
これは錦織圭を初めとする、日本男子のテニス力がアップしてきた為だろう。
錦織圭が世界ランキングを大幅に更新するまで、日本テニスはとても世界レベルで争えるものではなかったのだろうか。
特に錦織圭が世界ランキングを上げて行くと、他の日本勢もそれに共鳴するかのようにランキングを上げて行っている。
かといって、錦織圭以前は日本は力不足だったかというとそうでもない。
1878年にテニスが日本に伝来して、1920年オリンピックで日本史上初の銀メダルを取ったのはテニスにおいてである。
錦織圭以前にしてもずいぶん遠い「以前」だが、きちんと実績は出ているのである。
そのオリンピックの活躍により、翌年からデビスカップに招待されるようになった。
その後も1930年まで日本テニスの黄金期が続くのである。
しかし世界大戦などの戦争により、「錦織圭以前」の黄金期は終わりを迎える。
戦後は中々結果が出なかったが、1970年にデビスカップにて日本が強豪オーストラリアを倒す。
1921年以降実に50年ぶりの快挙だ。
オーストラリアは強豪中の強豪で、デビスカップ優勝回数28回。
一番多いアメリカの32回に次ぐ優勝回数である。
準優勝19回。
これも一番多いアメリカ29回の次に多い回数である。
ちなみに3番目に多いのはテニスの本場イギリスで優勝9回、準優勝8回と1位2位に比べると桁が一つ減ってしまう。
1971年のオーストラリアを倒す、というのは「錦織圭以前」の中でも直近ですごい快挙である。
なかなか日本人で、プロテニスプレーヤーとして活躍できる人は少ない。
もともと狭き門であるから当然だろう。
しかし、同じアジア勢から見ても日本の世界ランキングの位置はやや低かった様に思える。
それを懸念して、盛田正明氏は世界のトップで活躍できるテニス選手を輩出する目的でファンドを立ち上げた。
日本からも錦織圭のようにIMGアカデミーに短期留学する子供も増えている。
徐々にだが、環境が整いつつある。
第二、第三の錦織圭が世に出てくるのも時間の問題だ。
そうなれば、日本がデビスカップにおいて初優勝を遂げる日も遠くないのかもしれない。


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話は変わって、現在、錦織圭の世界ランキングは5月現在5位。
プロ転向後、7年でベスト5まで上り詰めた。
テニスは、自分の持っているポイントによって出場できる大会が決まってくる。
出たくてもポイントが足りなくて出れない大会もあれば、上位ポイント保持者は絶対にでなくてはいけない大会もある。
一年を通して世界30ヶ国68試合がある。
錦織圭など選手は一年の締めくくりとも言うべき試合ATPワールドツアーファイナルの出場を目指して奮闘する。
このATPサールドツアーファイナルは年間成績の上位8人しか出場することが出来ない大会である。
それに出場するだけでも大変な名誉である。
そのファイナルに出場するため、各選手ポイントを貯める為に必死なのだ。
世界ランキングとは52週の間に基準となる18大会の獲得ポイントによって順位が動く。
このポイントとは、大会に出場し、勝ち星を挙げるごとに増えていくものだ。
大会によって付与ポイントが違い、グランドスラム(4大大会)で2000ポイント、マスターズ1000大会、500大会、250大会と貰えるポイントが大会の種類になっている。
これは優勝時貰えるポイントで、もちろん高いポイントの大会程貰える賞金も大きくなるのである。
若手はすぐには大きな大会には出られないので、もっと下の方の大会に出てポイントを稼いでいく。
チャレンジャー、フューチャーズと呼ばれる大会で、世界40カ国以上で年間178大会開催される。
優勝ポイントは80ポイントから125ポイントまで。
チャレンジャーなどの大会はポイント数ではなく賞金の金額が大会名に付くことが多い。

その間、選手はだいたい年間30試合をすることになる。
では錦織圭はプロ転向後、ベスト5に至まで年間何試合をこなしていったのか。
上位と下位のポジションでは試合の数が変わってくるのか、どちらの方が試合数が少ないのか。
錦織圭の戦歴を元に検証していきたい。

まずプロ転向後2007年、錦織圭は世界をどのくらい転戦していたのだろうか。
3月アメリカフューチャーズ6→アメリカフューチャーズ8→全米男子クレーコート選手権
5月アメリカカールソン・チャレンジャー
6月アメリカユバシティー・チャレンジャー
7月レッグ・メーソン・テニス・クラシック(ワシントン)→インディアナポリス・テニス選手権(インディアナポリス)→カントリーワイドクラシック(ロサンゼルス)→ボゴタ・チャレンジャー→アメリカウィネトカ・チャレンジャー
8月全米オープン(ニューヨーク)→ロジャーカップ(カナダ)
9月チャイナ・オープン(北京)
10月釜山チャレンジャー(釜山)→ソウル・チャレンジャー(ソウル)→AIGジャパン・オープン(東京)

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